1984(朗読)

朗読の話になります。

ジョージ・オーウェルの1984年という小説の存在は知っていたものの、今までの人生で全く気にも留めずにいたのだが、いざ読んでみたらまず、主人公の年齢が39歳、しかも足が若干弱いみたいな設定で、思わず共感して読み進めた…のが、一月半ば。

で、あれからひと月、ようやく第一部の収録を終えて調整をして、もう少ししたらアップしますが、読者を選ぶ話なので、一般的に朗読音源に求められるであろう、静けさとか安寧、睡眠用みたいなジャンルとは全く異なる代物であり、暴力あり、セックスあり、虐待あり…の騒がしい内容を敢えて声にするわけだから、もう朗読というよりかは一人芝居というか、演劇めいた音源が出来上がった。

なんでこの話を手に取ったかと言うと、1984年生まれだからだ。

被爆国であり、団地を思わせる居住区、母国語が蔑まれて何故か簡易な新言語を習わされている状況…を顧みると…

私はこの小説、1984年生まれの日本人に宛てた皮肉とも応援ともつかないメッセージを感じずにはいられないのですよ。

作中にも同じ要点が書かれているが…いい作品というのは、既に体感して知っている事が書かれているものなので…これ知ってる!これもしかしてあたしが書いたんじゃないの!?と思えるモノは、そりゃ私にとって良作に違いない。

日本人であっても、下層集合住宅の雰囲気を知らない人や、被爆という感覚の無い方、持病やアレルギー反応をあまり知らずに育った人、サッカリン(パルスイー〇等、人工調味料)の違和感ある味を知らない方…言ってしまえば育ちがある程度中流以上の方々には、正真正銘のカルト的SF創作小説、あるいはラノベみたいなモノにしか感じられないかもしれない。

ともすると被害妄想とか、過剰反応といったように、この小説を受け止める方もいるのかもしれないが…

私にとってはかなり的を得た小説だった。

何について的を得ていたか?

…漠然とした苦しみや違和感についてです。

多分、苦しみや違和感というものはある程度人工的に作り出されているのだろうな、という事に関して、とても共感した。

まだ第一部しか出来ていないが、40歳に至るまでに録音し終えたい。