詩【ガスライティング(Gaslighting)】


魔術師がとある村にやってきて
村の広場でガラスの器に差し込まれたガスボンベで火を焚いた
火の周りには大小さまざまの
紙人形たち
中には魔物の形をしたものまである
魔術師は言った
『さあ無知蒙昧な人々よ、哀れな人々よ、私が魔法の力で魔物退治をしてあげよう』
村の人々は言った
『夜は安らかに眠る時間だから外へ出ない』
しかし魔術師は言った
『哀れな人々よ、魔法の力をしかと目を開けて観るのだ、魔法は目に見えるものだから』
人々はぞくぞくと集まってきて不思議そうにガスランプを見つめた
魔術師は影絵で人形劇を行った

魔物が村を攻めて来る
こわい魔物が村を攻めて来る
お祈りも効かない
神は存在し得ないのだから
お守りも効かない
聖霊も存在し得ないのだから
しかし魔物も悪魔もある
それに対抗する魔法こそ人類の英知
魔法はここに在る
今見ているこの自在な炎こそが魔法だ
愚かな人たちよ荒布を纏い地に転げなさい

人々が着ている物を切り裂いて転げまわると魔術師はガスボンベの火を調節して小さくし
影絵の魔物を遠ざけた

しかし、ごく一部の村人が堪えきれずに笑いだすと魔術師はガスボンベの火をひときわ大きくし
影絵の魔物をガラスランプギリギリまで近づけた
そのため魔物の影は周囲一帯を飲み込むほど大きくなった
村人の大半は震えあがった

魔術師は言った
『お前たち不従順な者たちのせいで神の罰が下されているのだ、見よこの魔物を』

村の大半の人々は初めて見る大きな影絵に驚いて言った
『この村全員が従順であればここは魔物に滅ぼされずに済むはずだ、みんな、荒布を身に纏うんだ!従順になろう…』

ごく一握りの村人が言った
『しっかりしろ、これはただの影絵に過ぎない、光に照らされたただの影だ、瞼を閉じて幻影を振り払え、これは遊びなんだ』

魔術師は言った
『不従順な者よ、お前たちのせいでここに居る大多数は滅びる事が定められた、見よ、しかと見よ、この影は実在している、何故今ここに在るものをお前たち反逆者は見ようともしないのか?ソドムとゴモラが滅ぼされたのと同じ事が今起きようとしている、お前たちが悔い改めるのであれば私は許そう、お前たちが私に子羊のように従うのであれば私はお前たちの神となって毎日供物を貰い、その代わりにこの地を贖ってやる、どうだ?』

村人たちはすっかり混乱状態となった
夜の広場で
憎み合ってすらいない者同士があわや掴み合いの寸前となった

魔術師は言った
『不一致が全ての贖いを台無しにする、少数の反逆者が居る、彼らは狂っている、狂っているから魔物の恐ろしさが理解出来ないのだ、これが影絵だって?狂っているとしか思えない、夜に映し出されたこの現実をただの影絵だと?見えるものすら信じようともしない…この者たちにとっては生まれない方が幸いであった…彼等こそがこの村に魔物を招いたのだ、狂人こそが全ての元凶である、狂人故にこの村は地獄に落ちる、この魔物が影絵に見えるだなんて目が腐っているのだ、魔物を見ることさえ出来ない哀れな狂人よ、彼らの罪は重い』

村人のうちの幾人かは泣き出し、半狂乱になった、反逆者を捕まえろという声があがった

それを聞いた者のうちの一人がさっと飛び出て、すぐさま、こん棒でガラスランプを叩き割った
彼ははっきりと言った
『その通りだ!俺は狂っている!狂っているからこれが本物の魔物だとは到底思えんのだ!』

魔術師はさっと手を伸ばして一足遅れに破壊行為を制そうとして怒鳴った
『狂人め!!!』

こん棒を持った村人の一人…彼はふたたびガラスを割りながら叫んだ
『みんなよく見ろ!これはただの火だ!ただの光る絵なんだ!影絵に過ぎないんだ!魔術師、お前の言う通り俺は狂っているからガラスの破片も怖くない、おい魔術師、お前にはまさかこれがただのガスランプに見えているんじゃなかろうな?まさかこれがガスランプに見えているんじゃないだろうな?俺は狂人だからこれは魔物じゃなくてガスランプにしか見えんのだよ、尊いお前には俺が神殺しをしているように見えているのだろうが…なんのこっちゃない、狂った俺はただ、ガスランプをぶっ壊している所なんだ!でも賢いお前にはまさか…これが、ただのガスランプと板切れの人形たちには見えるはずもないだろう?お前は本物の魔物を見ているはずなんだからな!だからお前には俺を止められるはずが無いんだ…本物の魔物がこん棒一振りで木っ端みじんになるはずがないものなあ!少なくともお前が沢山の布施と権威を得るまでは、こいつらは本物の悪魔と神様であってくれないと困るはずなんだ…しかし幸いなことに俺は狂っている!生まれながらに狂っているからガスランプを無我夢中でぶっ壊してる最中なんだ、理由なんかあるもんか!さあみんな手伝ってくれ、その板切れの人形どもを火にくべろ!神様に祝福あれ!』

幾人かがごく単純に引き寄せられて人形を残り火にくべ、果たして板人形は灰となり、いつのまにか村は和やかになっていた
暁が村を染め
泣いていた者もすっかり元気を取り戻し
昨夜生じた対立は嘘のようにかき消された

魔術師はいつの間にか姿を消していた

朝…
商売道具であるガスランプを失くした魔術師は
晴れ渡った空の下を歩きながらぼやいていた
『何が正しく何が狂っているかを訴えるには魔術だけでは、ちと…あのような辺鄙な場所に暮らす哀れな人々にさえ…物足りなかったか、では一体権威は何に宿るのだろう?権威さえあればもっとうまくいくはずだったんだが…ああいう馬鹿が一番質が悪い、あの馬鹿の言う事を誰も聴きさえしなければ万事首尾よくいったのになあ』

『しかし権威を示すものとは一体何だろう?』

実のところそれは何だってよいのだ
権威とは
権威を示すだけのものであり
それ以上でも以下でもない
無いのであれば作り出してしまえばよいのだ…魔術師はほくそ笑んだ

そして次の村についた時
魔術師は丁寧に自己紹介をした
『自分は権威のある律法を学んだもので、学者である…第一に、神と神に選ばれている者の言葉を重んじよ、第二に魔物を恐れよ、第三に…これが一番重要だが、馬鹿の言う事を聞いてはいけない、権威の無いものの言葉は戯言に過ぎない』

こうして律法学者に鞍替えした魔術師は
ガス燈無しでも影絵をでっちあげ
各地で畏れ敬われる存在となり
世の風潮は権威の有る無しだけで人の重きが量られるようになり
…愛と呼ばれるものは確実に地上から減っていった…
かくして人間は自ら不幸を…操られることを選んだのであった
幻想に惑わされ自らを責める哀れな自己卑下者を演じることを、選んだのであった