マイク狂騒曲

エゼキエル書の意訳…もとい、カタカナ外来語を邦語訳化したりする謎作業を経て、そろそろ録音かなと思っていたら大事件が起きた。

半年以上も毎日覗いていた某楽器屋にて、狙っていたマイクが唐突に8万も値上がりしていたのだ。

そりゃあ円が1ドル130円台に入ったあたりからもうダメかなとは思っていた。ただ、楽器や音楽機材全般に対して言えることだが…通貨の変動に比例して価格変動するのではなく、通貨の変動があろうがなかろうが(つまりデフレだろうが円高だろうが)基本的に機材価格は上昇の一途を辿る。しかもこれが古い機材ですらそうなんだから笑えない。

私がなけなしの内職代を払いつくして購入したオーディオインターフェースだとかマイクプリアンプコンプ、これ、もう数万値上がりしている状態…まだ一年も経ってないのに。

通貨変動に応じて価格が変動するならともかく、いったん上がった価格はほとんど絶対に下げないというのが音楽機材商法の一つである。(価格が下がってるモノをしいてあげるなら…今は録音ソフトで完結するようないわゆる卓、的な機材くらいか。見た目的にすごく好きだがさすがのアナログ脳の私もソフトで完結させる方を選ぶ。それでもアナログ美学は大いにもっているのでプリアンプなどの直接的な実機がほとんど永久とも言えるくらいに今後も愛され続けるのは納得がいくが。)

今8万値上がりしたものを買うのは躊躇われる…しかし下手をすると来春頃にはあと5万くらい上がってても不思議ではない…謎の焦りに苛まれ、ギャンブルだったら「絶対やめといたほうがいい」領域にて購入ボタンを押そうかどうか迷っていたその時に、なんと唐突に某楽器屋にて5万円下がった。

もう買うしかない!!!…繰り返しになるが、ギャンブルだったら絶対やめといたほうがいい変な焦りでの購入であった。しかも普通に考えて、今まで見ていた価格よりもそれでも3万も高いのだ。

ただ、もう元の価格には絶対に戻らないという確証があるのだ。すべての、(創作するときに使用する)音楽機材の価格は絶対に売り出し時の値段には戻らない…この事を私はこの2~3年、音楽機材を見てきて知っているので、負けを認めた状態で買ったに過ぎない。

中古じゃだめなの?という意見もあると思う、というかそうするのが(私のような超低所得者にとっては)筋であるが、ことマイクに関して…いや、プリアンプ等の音に色付けするアナログ機材に関してだけは、どうしても新品じゃなきゃイヤなのだ。これはただの拘りであり独りよがりの美学である。

これがそのマイクのご尊顔。いい横顔、このマイクの事を考えすぎていたので昔からそこにあったみたいな感覚だ。

何故高いものを無理してまで買うのか?

人間社会的に考えても経歴もなく、ネット社会ですら特段人気もないのにどうしていい物を揃えようとするのか?

何でそこまでするのか?

こういった疑問を感じる方もおられるかもしれない。これに関しては私独自の考え方がある。(いつもだが。)

どういう考え方かというと『30代のうちに実際に出会った機材ならば、私の能力を遺憾なく発揮してくれる』気がしているのだ。今から丸30年朗読をやったら、(それが特段人間社会的にどうのこうのじゃなくて)個人的に納得いく領域にまでいけるんじゃないか?と踏んでいる。まあこれは、絵やミシンや花壇や…そういった他の物事にかんしても言える話で、つまり私は『40歳になるまでにある程度良い物に触れておきたい』『あとはもう死ぬだけなので死ぬまでにどれだけ個人能力を伸ばせるのかを試さなくてはならない』という焦燥感に日々駆られており、そのためにも良い機材を(録音機材にしろミシンにしろ)買っておきたいと常日頃虎視眈々と考えて、品物を狙っていたのである。

だから今回、世界情勢から半ば促されて高価なマイクを買ったのも、つまるところ私が30代だからである。これが40過ぎてたら踏みとどまったかもしれない…いや、訂正、やっぱ買ってただろう。私の場合は身体があまり丈夫ではないので余計に、死が近い分だけ、やりたいことに関して貪欲なのだ。

若い時に何一つできなかったことに関しては大損、大負け状態であり、それは私が外部に自分を合わせようとしたからこそ負けが込んだのだと今はわかる。

負け、というのはつまり、自分の人生を生きられなかった事だ…哀しいかな、これが中年の言外の叫びである。

マイクの値段が爆上がりした当日の朝、虹が出ていたので撮った写真。よく見ると二重であり…そして以前にも二重の虹の画像をブログに載せたような気がする。もしかすると虹の源も同じかもしれない。幸運の湧き出る泉も、案外近くにあるのかもしれない。