旧約聖書朗読【詩篇Ⅴ】第5巻

なぜ祈りの文言まで意訳したのかというと…

世の中から対立概念や、内的な意味での性による地獄を味わう人を減らすにはどうしたらよかろうか?と散々考えた結果、私の場合は『自身に内在する内なる男性性と女性性をそれぞれに理解する』という結論に達したので、詩篇に男女の祈りを入れた次第です。

対立するように見える概念同士が『個人の内部で』手を取り合うイメージを聖書に感じたので、それを詩篇に織り交ぜまたのです。

さて、ちょっと話は逸れるが…この対立概念や男女が手を取り合う内的イメージに関して…

『神を父』と喩え、おそらくそのバランスを保つために『聖母マリア』という概念で『宗教的両性具有』を具現化しているカトリックなどは、一見かなり男性的に偏っているようでいても、実は男性性と女性性の理解を暗に示していたのではないか…?とも思えます。

(※伝統的な教えや宗教団体、またこれを長く信仰する地域に関してではなく、あくまで概念上の男女合一のイメージがあるように思われる点が…聖母マリアとイエスキリストという概念にはある、ということです。キリストとマリアの関係は、日本でいうと金太郎とその母みたいな感じだろうか?金太郎は一種の鬼の子だが、その母である山姥は鬼の霊気と交わって、常人ならざる金太郎を生んだという。)

…ともあれ、詩篇は歌ですので、堅苦しく考えずに聴いていただければ幸いです。

サムネイルはカラスの幼鳥のつもりですが、果たして実際には何の鳥なのかは不明です。