旧約聖書朗読【ダニエル書】前編

ダニエルという男はことごとく王者に好まれるのが面白い。ダニエル自身は侵略された国の人間であり、征服者に囚われてゆくのだが、その征服者たる王が…代が変わったりさらなる征服者が現れたりして三人起こるのだが…全員ダニエルを好むようになる。

王者に好まれるがゆえに他のエリートたちから嫉妬され、しかもダニエル自身は侵略された国から連れてこられた異邦人でもあるので、常に「ユダヤ人のくせに」というニュアンスでいじめられる様子がそれとなく描かれる。

つまり紀元前からユダヤ人という人種(あるいは思想集団)は他国から若干馬鹿にされる集団であったらしいことが伺われる。

断っておくが、これはあくまで私が【旧約聖書を読んで感じたこと】であり、旧約聖書に実際に『我々(ユダヤらしき血統概念+唯一の神という概念を信奉する集団)は他国人から嘲られている』としょっちゅう書かれていることから歴史的背景を感じ取っているだけである。『我々は恥を被っている』と彼ら自身がそう言っており、どうやらそれは『他国人の信奉する神々という即物的な概念を、保身のために、間違っていると知っていながら拝んだ』事、つまり端的に言うと【魂を売ってしまった】ことへの罰、という事らしい。

私が、旧約聖書を含めた意味での聖書に惹かれる理由はまさにこれで、この一種独特な【自罰】とでもいおうか…妙に自らの集団を客観視し、決して自分たちを完全無欠だとは言わないところに現実的な在り方を感じる。

ダニエルに話を戻すと、彼は異国へ囚われた身でありながら相当な霊感があり…とても世俗的な言い方になるが、アカシックレコード的な所に接触する能力があったような感じがする。

特に、三人目の王である征服者ダリヨス王なんかは、ダニエルの祖国を侵略した王の国を、さらに侵略した王であるので、実はほとんど直接的にはダニエルとは関係ない立場の人間でさえあるのだが…それでもダニエルと独特の友情を保っている情景が、まるで銀幕映画でも観ているような感覚に陥り、癖になる。