ショートショート【アマチュア】

ひょんな事でクリスマスキャロルの主人公並みに変容を遂げた男は道すがら、一人の老人を見かけて立ち止まった。その老人は住宅街とドブ川の暗渠の間としか言いようのない奇妙な場所に、椅子まで持ってきて陣取って、神妙な顔つきで絵筆を握っていた。彼はその老人に対して何か声をかけたくなっていた…というのもこの男も絵を描くのだった、絵を描いて生きてきたのだった、そしてそれを最早止めようかと考えているところだったのだ。彼は言葉を発した。しかし老人はちらりと彼を見ただけで再びキャンバスに視線を戻した。彼は面食らうと同時にひどく恥ずかしくなった…他の人間も同様に老人に挨拶をしたが老人はそのすべてを完全に無視している様子であった。途中からはラジオをつけ、明らかに故意に無視していた。男は足早にその場を通り過ぎた。絵は目に入らなかった…つまり、絵心のある人間からしても特に気を引く段階の絵ですらなかったのだ。

「ああこれが、これが、これがアマチュアってもんなんだ…」

男は絞り出すようにつぶやいた。芸術というものが単なる個人の特技に成り下がるのであれば、それは幼稚園児がお絵描きをするのと大差ない。誰の為にもならない芸術はただの芸だと、変容を遂げた彼は思っていたのだった。自分の特技を伸ばすだけの芸術…喜びの発露が絵に宿るのであれば、かの老人の態度も致し方ないが…残念ながらその地点に至るだけの力量は無いようだった。しかも老人が居るという、現・物理的段階に於いても全く喜びの要素が無い…男は再び我が身を恥じた。孤独ぶって絵を描く老人の姿にかつての自分の姿が重なったのだった。クリスマスキャロルの主人公、孤独に憑りつかれて周囲を無視する頑迷な男、あれがかつての自分であると彼は思った。

人がどのように変貌を遂げるのかは誰にもわからない、何が正解なのかも無論解き明かされはしない。それでも少なくとも、詩歌や絵といった芸術の根源は喜びである、喜びの共有が全ての芸術の根源である。その喜びには、真実を分かち合う喜びもあれば悲しみを分かち合う喜びもある…そして実に厄介なのが、この喜びの追求の為には、ある程度孤独になる必要がある…絵を一人で描き上げる程度には…。

「誰一人喜ばせる気が無いなら絵なんてやめちまえ」

この言葉が果たしてどこから降って来たのかは確かめようがなかった、ただ、男が件の老人の姿から強烈に受けたメッセージがこれだった事は、否定しようの無い主観的事実であった。それと同時に、何十年と生き、何十年と芸術に費やしたところで、根源的な喜びの発露に至らず、尚且つ誰をも喜ばせないものしか表現出来ない、する気が無い、というのであれば…それは時間の無駄でしかない、そんな風に男には感じられ、その事が恐ろしくもあった。

その後何が起こったのかは誰にもわからない…ただ一つ言えるのは、男が、ついに絵筆を折ろうと決意したその日の朝、輝くような秋晴れの陽光を受けながら、全く唐突に、件のお絵描き老人が住宅街とドブ川の暗渠の間の椅子から立ち上がり、通りすがりのこの男に微笑みかけ、完成した絵を見せてきたのだった。老人にもどうやらクリスマスキャロルの主人公並みの変容が訪れたらしい…男は老人の絵を見て、その絵の下手さを見て思わず笑った。魂そのものが変容したらしい老人も屈託なく笑った。事実として言えるのは…この二人は結局死ぬまで喜びの絵を描き続けた、それだけである。