旧約聖書朗読【エレミヤ書】後編

※あくまでも個人的な感想です。朗読中は忘我状態ですので、これはエレミヤ書を読んだ無宗教、無教養の一個人が書いた物としてお読みいただければ幸いです。特にキリスト教関連の考えや伝統を学んだり、その空気を尊重しようという集団精神には属しておりませんので、この感想が全く的外れであってもお許しいただきたく存じます。

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後半25章からは一気に歴史物語の様相を呈してくるエレミヤ書。

あまりに歴史物語なので、ちょっとまとめました。

28章にはハナニヤという偽預言者が出てきて、それとなくエレミヤの事すらもパフォーマンスに使うという芸人っぷり。そしてこの種の芸人預言者が閉鎖的な民族にはとても受けが良い、そんな虚しくなるような一幕もある。

概要を話すと、異教の国(バビロン)が星を読む人びと(カルデヤ人/科学者集団)を率いて神の王国(ヘブライ)を征服する。神の王国は異教の国に征服されたときに、国内の貴族階級の人々は捕虜や奴隷として連れて行かれ、平民が田畑持ちの小作人(というよりも即、土地持ちの豪農か?)になる。神の王国(ヘブライ人)の王は異教の王に従わずに逃げたために、捕まって、自分の子供である王子や王女が目の前で殺されたのち、自らも両目をえぐり取られる壮絶な目に遭い、死ぬまで牢獄へ繋がれる。

実は原文では34章にてこの王にて幸福な預言がなされるのだが…それだと39章での壮絶な体験の話が通じなくなる(というか神の預言が外れる)ので敢えて『もし征服者に従うのであれば』という一文を加筆した。言外にそのようなメッセージを含んでいるとも思えるので。

きっとこんな風に聖書は加筆修正されまくっているのだろうなあ…と勝手に想像。

その後征服された都を治めるべく、ヘブライ人総督を立てて内乱が起きないように征服者が支持。しかしこの総督がさらなる別の国(アンモン人の王、つまりモレク信仰のある人々)のスナイパーに殺されてしまう。この暗殺者が妙な統率力を持っているらしい事は文中からも伝わってくる、この暗殺者は侵略されて弱りはてた(特権階級や権力者は捕虜として連れて行かれた)民衆を一瞬で掌握し、たった10人ほどの味方だけでこのヘブライ人たちをまとめて他国へ人質として引き連れて行く。

こんなわけのわからない人物に対して誰も反乱しなかったの?と思うが、権力者が居なくなり、普段小市民の中でもさらに慎ましく暮らしていた人たちばかりだったのかもしれない、それに第一、国が滅茶苦茶に破壊されたばかりであり、この戦いによって食料も乏しかった記述からも、神の王国の民の残った人々は自我喪失、戦意喪失状態だったと推測される。

結局、事態を聞きつけたマッカーサー…ならぬ、征服者たる異教の民や軍隊らが、暗殺者の一群に辺境の地で追いつき、征服した現地人(ヘブライ人)が他国の人質になるという三つ巴状態は避けられた。あわやさらなる謎の他国へ人質として連れて行かれそうだったヘブライ人たちは、戦時中は自分たちの街を破壊し尽くした敵である鬼畜米英…じゃなかった、異教の王国の軍人(バビロン人)たちに対し、唐突に『身をひるがえして』保護を求めるべく縋りついたのである。

『ギブミーチョコレート!』という言葉が神の王国の民たちから聞こえてきそうな展開である。敗戦国の人はエレミヤ書に於ける歴史的背景を理解しやすい気がする。

しかし暗殺者は逃亡し、神の王国の民(ヘブライ人)総督も殺されるという失態はどうすることもできない。

原文ではこのあたりの征服軍(バビロン人)事情は『カルデヤ人(星を読む人びと)を恐れて』とある。

しかし権力者はカルデヤ人ではなく異教の王(バビロン人)である…バビロン人が手下(としか思えないエレミヤ書に於ける描写…)を恐れるなんて、なんかちょっと話が通らなくない?

さらに言うと、ギリシア語訳のエズラ記によるとバビロンの王がそもそも『カルデヤ人の王』と記されている。

えっ…どっちなんだ。歴史的意味を尊重するのであれば、カルデヤの人を恐れてマッカーサー的な侵略軍人が敗戦国のボロボロの人を保護しつつ逃げた、となるが…なんかしっくりこない。

よって、完全に個人の独断で、この41章については、ここは敢えてバビロンの軍隊が『同胞のトップである、強大なカリスマ性を誇る異教の王(バビロン人)』の叱責を恐れて、捕虜というよりも最早難民となった神の王国の民(ヘブライ人)の小集団を引き連れて、ベツレヘムのそばに留まったという内容に改編させてもらった。

王に反旗を翻す行動をする軍とその民に対して、神からのその後の預言『征服者の王(バビロン王)を恐れるな』という文言ともうまく繋がる。

勿論、「聖書の原文を変えないでよ!」という意見もあろうかと思う…もっともである。

しかし原文を、全く意味も解らずただ読み上げているだけでは朗読とは言い難いのではないか?そんな気持ちで気づいたら改編していた。原作好きな方に対しては申し訳ないが許してほしい。意味が通らないのであれば、お経を読んでいるに過ぎないという気持ちがあるのだ。

さて、ここから神の王国の民(ヘブライ人)は一気に難民化してゆく。

ちなみにこのまま彼らは南の大国…かつて神の王国の民(ヘブライ人)を奴隷として扱っていた超大国(エジプト)へ行って逃げようとする。この事に関して私は『亡命』という言葉を使った。そして神はこの行為を、少なくとも本書の中では禁止している。なので朗読では亡命を禁止する文言を言っているのだが、これは私にそういう亡命禁止の思想があるのではなく、神がそう言われている事をわかりやすく表現するために、感情的にもわかるように加筆しただけなのであって、その聖書的真意は不明であると断っておこう。

そしてエレミヤその人の行方もここで途絶える。

エレミヤの書記は最後までの命を神から保証されるが、エレミヤ自身については特に預言は無い。原文を読んだ限りでは…戦時中にもかかわらず、同胞からの数々の虐待の記述を考えると、おそらくエジプトでヘブライ人から殺されたんだろうなあと推測される。

エレミヤは神の命令に従ったんだから神は報いられるんじゃないの?幸福になるのでは?と感情的には思えるが、聖書の言う報いとか服従ってそうではないんだよなあ。ここが聖書が厳しい書物だなと感じるところであり、感情的な意味での愛や幸福感を求めるような宗教定義ではないのだとわかる。

エレミヤ書で神が言う【征服者に従え、侵略者に従え】という言葉の意味は、ひとつの小規模な民族が生き残るための戦略的知恵の事であって、世界情勢的に考えればバビロン人や科学的思考のあるカルデヤ人には戦で敵うはずないのだから、素直に降伏し、一民族の存亡の危機から脱せよ、という事に感じられる。

これも一読しただけでは…なんで神はそんな事言うの?と感情的には思えるが、ちょっと状況を調べれば、まあそうだよねと案外多くの人が理解できると思う。

同国人にさっぱり理解してもらえない苦しみ、言葉は通じるのに話が通じない苦しみ、大勢の中で感じる異端の苦しみ…一番合理的な方法を解いているにもかかわらず、自分の属する国家集団が全く非合理的な結論に飛びついて自滅しようとしている有様を目の当たりにした預言者エレミヤ。

神に従えというのは、人間集団に従えという事とは往々にして合致しないのである。

昨今…少数派になってしまう人にお勧めしたい書物である。