第三節に『川に渡るために使用した筏を有難いものだと言って陸にまで担いでゆく愚か者』の喩えがあるが…この国に於いては死ぬまで筏を担いでいくのが善や美とされる文化があるよなあ………。
みなまで言うまい。
さて、第四節に『悟りすら手放す』『しかし自己放棄しない』という究極の段階が説明される。
迷いがあるから悟りがあるのであれば、世の中の混迷そのものを見て爆発的な悟りを感じるまでに悟りきれ、全てを見て悟りきれ、悟りに留まるのではなく悟りきるのだ…。
私はこれでも幼少期はお経をあげたりする程度には仏教信徒であったが、この仏教聖典の著者はかなりわかりやすく悟りを説明しており、感銘を受けた。
空、の概念についてはじめてわかった気がする。(という事は仏教=禅宗ってことだろうか。)
禅宗=仏教、究極哲学
真言宗→よくわからないがお経のイメージ強いので朗読宗教かもしれない
日蓮宗→やたらと偶像崇拝禁止、一点を崇める、実はユダヤ教以上キリスト教未満(聖書)とかなり似ている(ほぼ同一)
浄土真宗→グノーシス主義に近い気がする
↑…こんな偏った見方で仏教を分類している。勿論これは私個人の浅はかな見解(偏見)であるので、聖書も読み進め、その他の書物も読んだら、また考えを改めるだろう。