【朗読】山の人生『二一 山姥をはじめとする山の物の怪』柳田國男※怖い話

全く関係ない話なのだが、ずっと以前、高速道路を敢えて通らずに一般道を通って山梨に行く途中に、山中の河辺に於いて怪異を見たことがある。

…運転していたのは親で、当時はまだ私も子供だったが…面白い事に、この怪異についてはその時車内に居た家族全員が見ている。

どういうものかというと、川辺で野辺送りをしている光景を見たのである。

しかも全員が何故か白装束だった。

だからこそ奇妙に思った両親は『変な宗教団体かもしれないから、冷やかしに見に行こう!』といってさらに車を川の方へと走らせたのである。

オウム真理教が事件を起こすよりもちょっと以前の事だった。

両親も、今思えば実際若かったので、怖いもの見たさだったのだろう。

…だが、ちょっと道を一本またいで、いざ川の真横あたりまで車を接近させると…

不思議なことに、川は(田舎の割に)ずっと舗装されていて、野辺送りの出来るような自然の川岸自体が、存在していなかった。

どこまで行ってもそんな風であったので、『じゃあ今さっき見たあの野辺送りの光景は一体何だったのか?』『自分たちの見たあの川は何処だったのか?』…我々一家は狐につままれたような心持ちであった。

今でもあの時の光景は思い浮かぶ。

しかし今、敢えて言うならば…あれは現実ではない。

私は体感記憶(とでもいうのか)が強く、学習記憶は弱いくせに、自分の肌で見聞きしたことは、どんなに幼少の事であっても案外思い出せる。

ただ、あの時の野辺送りの光景は…あれは現実のものではない。

つまり私がこれを怖いと思う理由もこの点にあって、このような幻想…あるいは時空の歪みでも生じて過去の光景だったのか、それを血のつながりのある家族全員の瞼に映し出す地場の力のようなものが、確かに山にはある。

それが山への畏怖を抱かせると同時に…

あまり迂闊に近寄ってはならないように、仮に招かれても近寄ってはならぬようにも、思えるのである。

※ちなみに野辺送りの光景を、『実際に』見たり、参加した事も皆無です。