【朗読】山の人生『二五 山男は米を好む』柳田國男

個人的な話になるが『近世の蝦夷地えぞちに、いわゆるフレシャム(赤人)のいましめを伝えた時…』というこの一文に、自分の肉体的ルーツが見え隠れする。

というのも、調べてみると明治時代というのは、他国人が結構来ていたらしい。

自分の父方の、おそらくはこの時代のあたりの人に(曽祖母よりも遡るが)、ロシア人が居るらしい、血液の検査をしたときにも父にそのように出たので、そういった事情があったのだろう。

ただ、この当時の田舎の人の感覚というものは、今ほどメディアが発達していない故に、『外国人』と『話し方や外見がかなり違う日本人』の差が、もしかしたら今ほどには無かったのではなかろうか?とも思える。

祖母や曽祖母は確かに、言われてみればそちらの顔立ちであったが…私自身は父方の血はほぼ現れていないので、家の歴史として漠然と知っているだけである。

あと、血というものは遡れば案外世界中の人が繋がっていることがわかると思うので、普段はあまり重視しない。

…重視すべきは、言葉や文化の方である、そこに真の国籍が現れるような気がしている。(国という単位は実質もう無いのかなとも思うが。)