疑似記憶の効用(洋裁)

人生でこんなに頭を使ったことは無かった…

メンズシャツの本をずいぶん前に買って以来それきりになっていたのを引っ張り出して、型紙を使って四苦八苦しながらシャツを作るも、糸がピンクなせいか余計に怨念が籠ってるような出来栄えになった。

とはいえ、本年秋ごろから洋裁をやりだして三か月くらいでここまで出来るのであれば…なんで今まで何もやらなかったんだろう、なんでなにも頑張らなかったんだろう?と逆に少し落ち込んだ。

本来、私の頭脳では型紙理解や洋裁はあまりにも難しいため、ミシンやら針を持つときには『あたしは今15~17くらいの中高生で、家で洋裁をしている♪』という完全なる自己洗脳モードに入る事にしている。もしくは『実は私は2000年代初頭の青春時代から洋裁趣味をやってきた♪』という架空の人生を設定し、両者が溶け合った曖昧な地点に自分の心情を置くようにしている。

布はやはりシーチング(練習布)

言ってて悲しくならないか…?

と自分でも思うのだが、もうだいぶ物理的距離に於いても離れた両親をはじめ身近な人や血縁に、洋裁及び文化芸術的趣味のある人が皆無なため(端的に言って育ちが悪い)、新しいことをするときに、ちょっとした事がすごく難しく思えたり、自分の手出しできる範囲を超えているように思えて挫折しがちなので…この種の妄想は結構役に立つ。

現に、『針やミシンに慣れ親しんできた』という疑似記憶は『針やミシンに対する潜在的な恐怖や緊張を和らげる効果がある』のでわりと役に立っている。

昔の古き良き?引っ掛け部分のあるメンズシャツ

ちなみに遺伝子情報、mRNA物質ともいうべき部分には人の後天的な記憶が蓄積されるとの見解もある。つまりこの種の後天的情報が遺伝子自体に刻み込まれ、それが子孫に伝わるらしい…という記事を読んだ。

その記事の真偽はともかく…

実は私には両親の記憶がある…というと言い過ぎだが、『父がおそらく高校時代のヤンキー共に恐喝まがいのことをされていたような惨めな恐怖の記憶』と『母の実家の建築的な立体記憶』があり、子供時代から不思議だったが、両親ともにその種の事をはなから信じないので眉唾扱いされる故、あまり言わずにいた。

もちろん、親から受け継がれる遺伝子記憶というものに関してはもっと繊細な気質や反応のことを指すのであって、遺伝子に『それこそ両親が見たり体感した記憶』そのものが上書きされるわけなかろう、という見解もあるだろう。※私も頭ではそう思っている。

しかしながら私の体感するこの受け継ぎ記憶とも言うべき事象については残念ながら、神秘性は皆無であり、『複数人に囲まれる恐怖や惨めさ』と『建物の構造』だけなので、はっきり言って負の作用しか生じていない。

遺伝子から記憶が引き継がれるのであれば…親からの後天的な記憶で受け継ぎたいものは『努力する喜びや達成感、自己成長、自発的な発見力!』等である。だから若い時の苦労は買ってでもしろと言うのか。悲しいかな我が家系にはそれが皆無な気がする…などと言っては先祖に罰当たりだろうか。

とはいえ中年になってないものねだりも見苦しいので、ないならば作って見せようホトトギス!ということで勝手に疑似記憶を作り出し、洋裁をやるごとに体感して自己洗脳しているところだ。

でもまあこれでシャツの立体構造が解ったわけだから、自己催眠というものもなかなか利点があるのではないか?と考えている。