【聖書朗読】マルコによる福音書(前編1~8章)

サムネイル画像は、マルコ福音書のシンボルである獅子から連想して…獅子→百獣の王→百花の王ということで牡丹にした。牡丹には獅子咲きと呼ばれるものもあるようだし、獅子のイメージカラーでもある赤が多様にみられるのも、牡丹である。ということで個人的には、マルコ福音書のシンボル植物は牡丹だ。

どうしても読んでいて疑問が出てくる書物であるのが聖書の、聖書たる所以なので、これはもう仕方のないこととして、疑問点を挙げてゆく。

あと、盲人という言葉が差別用語にあたるかどうかを検索したところ、国会図書館のレファレンスサービスにて、これは差別用語には該当せずという回答を見たので、一部使用した。尚、当方脚が痛くて杖をつくこともあるが、だからといって『脚萎え』等の表現を見たからと言って即、差別だ!などとは感じない。痛いとか、不自由だということは単なる状態や事実を指すものであるので、それに関する言葉を以て、酷いとか、やれ差別だと言うのは全く見当違いな気がしている。

らい病という言葉に関しては、穢れたとされる病人としておいた。

・7章「どんな食物でも清いものとされた」

とあるが、これに関しては「どんな自然物でも清いものとされた」「自然の(神の)恩寵によって育った食物はどんなものでも清いとされた」が適切な訳かと思われる。私は昨今、穢れた食物はあると思っている…まあもっと言うと、そもそも食物でないモノが食物として売られている事が問題なのであって、食物だと本能が感じるものに関してはすべて清く、食物ではないと感じるものこそが穢れている…のだが。

様々な添加物や意味不明な調味料とか、培養された虫だとか…そもそも食べ物ではないし、自然物でもないので、イエスのこの言葉には含まれないと私は個人的には考える。

あとマルコによる福音書に於いては、真っ先にイエスの神性に気が付くのは悪魔や悪霊である…霊や神といった物理世界外の存在には、イエスがいかに凡俗とかけ離れているかがわかるらしい。マタイ福音書が人間世界を示し、マルコ、ルカ、ヨハネと、段々…不可思議な領域に進んでゆくような感覚に陥る。