春のほうれん草(ブログ)

内部から輝くほうれん草の群れ…

自分で作った野菜を食べ、しかもその際の野菜系 生ごみを肥料にし、循環させると異様に気分がいい。

三区画に区切った庭のうち一つを、季節の野菜畑にした…今生えているのは種から育てた(葉野菜なので当たり前だが)ほうれん草と二十日大根。

しかし二十日大根の方はまだ大根の実になっていない…何か月かかるんだ??そうこうするうちに春だが…。

此度、人生初めて野菜を植えてみたが…思った以上に時間がかかるものなのだと理解した。間引くのが面倒なのでそのまま育てたが、案外、はずれ無しである。適度に引き抜く形で毎日食べている。これを庭から採って調理するときの得も言われぬ快感ときたら…!!

冬のうちはまったく芽が出なかった…三区画のうちの奥がバラ園(小さすぎる)、手前がほうれん草畑

中年になってから新たに目覚めた快楽のうち、ゴミ拾い時に生じる謎の満ち足りた気持ちと、こうして自給自足の真似事をするときの楽しさとを、人に伝えるべく特記したい。

…と思うが文字通りあまり言葉で言い表すことが出来ない至福感であるので、はたから見たらよくある中高年の光景でしかないのが、なんとも残念でもある。

おそらくは、菜園やゴミ拾いといったこの種の快楽は、個体(個人)としての快楽というよりも、全体(地球規模)の快楽であるため、その時の意識は最早…生きる上での心地よさというよりも、何か死後を彷彿とさせるものであると推察する。

こう考えると、死はそこまで忌むべきものではないと、私には思えてならない。