完成が見える地点がある。
芸術のあのエネルギー、創作の時に訪れるあのエネルギー地点では、既に全ては完成している。
現実はあの地点から見ると随分時差があって遅れているし、芸術を表現するというのはすなわち、あの地点から現世に完成を写す作業である。
となるとこの世は確かに写し世/現世だ。
完成のヴィジョンの地点は、この世から見ればさしずめ超現実といったところ。
超現実のエネルギーを受けて必死に写す作業をする…さて、どちらが現実か?
…芸術エネルギー(完成された地点の見える超現実)を真の現実として捉えている人間と
…うつし世を真の現実と捉えている人間との間には常に時差が生じる。
この世っていうのはいつも遅い、超現実世界ではすでに解決している問題も、この世に写し終えていないがために未完のままだ。
たまに、首都高が見たくてその近辺に連れて行ってもらう、すべてにおいて他人の手を借りている、借りは到底返せない、借りばかりが膨大に増えていく、もう泣くんじゃねえぞと逆に開き直って生きてくしかないのか。