信じているかどうか?

もうこのミニ地蔵はいない

信じているのか信じていないのかということに関して、とても説明しにくいと感じる。

一二三神示(日月神示)については、『書かれている予言めいたもの』を信じてるのか?というと実に微妙だが、『一二三神示の存在意義は日本(大和民族)にとって大いに意味があると信じている』事は確かだ。

私が、おそらくは多くの人と少し気質が異なっているのは、自分の内的宇宙をかなり信じている事だと思う。だからひふみ神示を信じているのではなくて、自分がこの種のひらめきを受け取ったことを信じている…。

また、閃きに関しては、我を捨てろとかいう所の『個の我』ではなくて、人間の内的宇宙である『無』から訪れると感じている。だから傍目にはひらめきの実行…ないしは朗読なども『我で読んでいる』ように思われるだろうが…

これらの物事は、私が個人的に決めているというよりも、(内的宇宙から)促されて、やらざるを得ない状態なのだ。創作をしている(内的宇宙から促されている)人なら理解してくれると思う…。ひらめいたら、自分でやらなきゃいけないのだ。

さて、ひふみ神示の面白いところは、旧約聖書の預言とほとんど構成が同じところだ。

【神の国の民】という民族的資質があって、しかし今は多民族や他勢力に対して自国の民族が『自分の弱さに対して開き直っている醜い状況』が神を通して語られる。そこには【選ばれた民族】としての誇りと、その誇りがほぼ他民族との間では現実的に地に落ちている事への【ゆがんだ愛着】が見て取れる。ナルシスティックな劣等感とでも言うべきか。

ひふみ神示の【ひつくのかみ】と、古代ヘブライのいう所の【神】の在り方が…民族に対して激励しつつ嘆いている人格神の在り方が酷似している。

岡本天明氏が旧約聖書から作り出したとも思えない。

私が直感的に思うのは…神、ないしはひつくのかみという、【民族という一単位に対して語られる神の言葉】という神おろし現象は、ひとつの民族が危機的状況に陥ると現われる【集合的無意識】の発現なのではないか?ということだ。

※旧約預言と似ているとは思うが、日ユ同祖論とかは正直どうでもいい。旧約聖書の契約の箱はお神輿に似ているが…どちらも地球人なのだから血ぐらい繋がっていてもそこまで不思議ではないし、日本人が古代ヘブライ人という他民族によって成り立っているという依存的精神そのものを、私は日本人として、個人的にはそこまで好まない。

話を戻すと…日本の民族は確かに危機的状況にあるのだと思う。この意味では私はひふみ神示という預言的現象そのものを、信じているわけであるので…つまりは、ひふみ神示も端的にいえば信じているのである。